プロレス中継

テレビ放送が始まった1953年、テレビ受像機が高額なこともあって、普及率は鈍いものでした。そこで日本テレビの正力松太郎社長は、「テレビによる宣伝価値は、家庭の受像機の数でなく、テレビを見ている人の数である」と、街頭テレビの設置を指示。国電(JR)新橋駅前広場・渋谷駅ハチ公前など、関東一円の人の集まる場所55ヵ所に、220台の街頭テレビ(21インチと27インチの大型受像機)が設置されました。
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この街頭テレビを対象に、スポーツ中継重視の編成を実施。当然のように街頭テレビには、連日黒山の人だかり。特にすごかったのが10月27日に行われたボクシング世界フライ級タイトルマッチです。チャンピオン白井義男の三度目の防衛戦で、相手はテリー・アレン。白井の雄姿を一目見ようと群衆が殺到し、あまりの数の多さに都電がストップするほどでした。そして、翌54年2月に始まるプロレス中継が、この人気をさらに熱いものにします。
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2月19日、日本初のプロレス世界タッグ選手権が東京蔵前国技館で開催され、チャンピオンのシャープ兄弟に力道山・木村政彦組が挑戦。NHKと日本テレビが実況中継しました。新橋駅前広場の街頭テレビには2万人を超える大群衆が集まり周囲の交通は完全にストップ。NHKは初日だけでしたが、日本テレビは東京・大阪・熊本などで開催された全5試合を中継。街頭テレビだけでなく、電器店やテレビ受像機を備えた喫茶店・飲食店に多くの人がつめかけました。5日間のテレビ中継は1千万人以上の視聴者を動員。
プロレスは日本では馴染みのないスポーツでしたが、その人気をあおったのが新聞やテレビによる前宣伝でした。特にテレビの影響は大きく、あっという間に、その魅力に取りつかれます。本場アメリカでもショー的要素の大きいプロレスはラジオ中継では魅力が伝わらず、テレビの普及とともに人気が上昇。バックドロップのルー・テーズや野生児バディ・ロジャースのような見映えのする技やスタイルを持つレスラーが人気となります。日本では力道山ね。
画像黒タイツの力道山が外人レスラーの反則攻撃に耐え、観客の怒りが最高潮に達した時、伝家の宝刀・空手チョップが炸裂します。観客は空手チョップで倒れる巨体の外人レスラーをみるたび、敗戦後の日本人のだれもが抱きつづけていたコンプレックスがスカッと吹き飛ぶのです。力道山は、日本の戦後事情を背景に、日本人が悪い外人をやっつけるというストーリーを見事に演出。当時の中継アナは、試合の実況の合間に、「テレビを見ている方は、前に押さないでください。危険ですから」「足場に気をつけてください」「塀をこわさないように」といった注意を呼びかけていたとのこと。プロレスを観たいためにテレビ受像機を購入する現象がみられ、テレビ普及に大きく貢献しました。
日の出の勢いであったプロレスですが、56年からブームはだんだん下火になっていきます。58年以降に大相撲は栃若時代、プロ野球の長嶋・王(ON)時代が到来すると、人気は下降調子。そこで力道山が打開策として企画したのが、世界の強豪レスラーを集めたワールド大リーグ戦です。これによってブームは再燃し、63年に亡くなるまで、力道山は戦う不動のヒーローとして君臨したので~す。
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