歌のアルバム
我々の年代がカラオケに行くと、必ず出てくるのが演歌。私は演歌が嫌いですが、演歌を包含する歌謡曲は、父が好きだったこともあり、子供の頃から数多く聴いています。テレビにおける歌謡曲番組といえば、TBS系列で1958年5月4日~79年9月30日に放送された『歌のアルバム』につきますね。21年以上続いたということは驚嘆にあたいしますよ。
日曜日の12時45分から、「1週間のごぶさたでした。司会の玉置宏です」の決まり文句で始まる30分番組。ロッテの1社提供だったので、『ロッテ歌のアルバム』として知られています。“お口の恋人”というチューインガムのキャッチコピーは、コピー史上に残る傑作。1千回まで司会を担当していた玉置宏の流行語ともなった“1週間のごぶさたでした”のフレーズは彼のオリジナルでなく、司会の先輩でもある漫談の牧野周一から譲り受けたとのこと。玉置宏の歌の名司会は至芸といえるものでした。
この番組が開始した頃の歌謡界といえば、淡谷のり子・霧島昇などの戦前からの歌手は既に懐メロ歌手になっており、戦後デビューした歌手が中心。だけど、三橋美智也、春日八郎、フランク永井、三浦洸一、青木光一、曽根史郎、若山彰、藤島恒夫、大津美子、宮城まり子、松山恵子、コロムビア・ローズ、松尾和子、島倉千代子といったオジサン・オバサンばかりだったので、最初の頃は殆ど観ていません。観ていなくても流行歌というものは、いつもどこかから聞こえてくるもので、自然と覚えちゃうんですよね。
子供心に印象に残っている歌といえば、三橋美智也の♪~両手をまわして、かえろ、ゆれながら~(星屑の街)=両手をまわして、ゆれながら歩くって、試してみたけど出来やしません。春日八郎の♪~いきなくろべえ、みこしのまつに、あだなすがたのあらいかみ~(お富さん)=粋な黒兵衛さん、神輿の松さん、あだ名が荒い神の姿さんと、人の名前と思っていました。青木光一の♪~粋にかぶった鳥打帽子、皮のジャンパーも似合うだろ~(僕は流しの運転手)=七つの顔の男(多羅尾伴内)の片目の運転手じゃないですか。若原一郎にも「ハンドル人生」なんて歌があったなァ。
タクシーの運転手に限らず、職業に密着した歌が結構ありましたね。コロムビア・ローズの♪~私は、東京のバスガール~(東京のバスガール)、若山彰の♪~おいら、岬の灯台守は~(喜びも悲しみも幾年月)、藤島恒夫の♪~包丁1本さらしに巻いて、旅に出るのも板場の修行~(月の法善寺横丁)、曽根史郎の「若いおまわりさん」や、宮城まり子の「ガード下の靴磨き」、鶴田浩二の「街のサンドイッチマン」等々。最近だと……ないなァ。
『歌のアルバム』を私が一番観ていたのは、橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦の初代御三家が顔を揃えた中学から高校時代にかけてです。御三家に三田明・梶光夫・久保浩と続く青春歌謡路線は年齢的に離れておらず、身近な存在として感じられました。生活の一部になっていましたね。
小学校の遠足では、バスの中で歌謡曲を歌う子はいませんでしたが、中学生になると歌謡曲かポップスばかり。英語まじりのポップスを歌うと、担任が英語の教師だったものだから発音の悪さを指摘されたりしてね。クラスでも目立たないおとなしい女の子が、五月みどりの「おひまなら来てね」を歌った時はビックラこきました。中学校の卒業式の日、クラス全員で舟木一夫の「高校三年生」を中学三年生のフレーズに替えて合唱したので~す。
日曜日の12時45分から、「1週間のごぶさたでした。司会の玉置宏です」の決まり文句で始まる30分番組。ロッテの1社提供だったので、『ロッテ歌のアルバム』として知られています。“お口の恋人”というチューインガムのキャッチコピーは、コピー史上に残る傑作。1千回まで司会を担当していた玉置宏の流行語ともなった“1週間のごぶさたでした”のフレーズは彼のオリジナルでなく、司会の先輩でもある漫談の牧野周一から譲り受けたとのこと。玉置宏の歌の名司会は至芸といえるものでした。
この番組が開始した頃の歌謡界といえば、淡谷のり子・霧島昇などの戦前からの歌手は既に懐メロ歌手になっており、戦後デビューした歌手が中心。だけど、三橋美智也、春日八郎、フランク永井、三浦洸一、青木光一、曽根史郎、若山彰、藤島恒夫、大津美子、宮城まり子、松山恵子、コロムビア・ローズ、松尾和子、島倉千代子といったオジサン・オバサンばかりだったので、最初の頃は殆ど観ていません。観ていなくても流行歌というものは、いつもどこかから聞こえてくるもので、自然と覚えちゃうんですよね。
子供心に印象に残っている歌といえば、三橋美智也の♪~両手をまわして、かえろ、ゆれながら~(星屑の街)=両手をまわして、ゆれながら歩くって、試してみたけど出来やしません。春日八郎の♪~いきなくろべえ、みこしのまつに、あだなすがたのあらいかみ~(お富さん)=粋な黒兵衛さん、神輿の松さん、あだ名が荒い神の姿さんと、人の名前と思っていました。青木光一の♪~粋にかぶった鳥打帽子、皮のジャンパーも似合うだろ~(僕は流しの運転手)=七つの顔の男(多羅尾伴内)の片目の運転手じゃないですか。若原一郎にも「ハンドル人生」なんて歌があったなァ。
タクシーの運転手に限らず、職業に密着した歌が結構ありましたね。コロムビア・ローズの♪~私は、東京のバスガール~(東京のバスガール)、若山彰の♪~おいら、岬の灯台守は~(喜びも悲しみも幾年月)、藤島恒夫の♪~包丁1本さらしに巻いて、旅に出るのも板場の修行~(月の法善寺横丁)、曽根史郎の「若いおまわりさん」や、宮城まり子の「ガード下の靴磨き」、鶴田浩二の「街のサンドイッチマン」等々。最近だと……ないなァ。
『歌のアルバム』を私が一番観ていたのは、橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦の初代御三家が顔を揃えた中学から高校時代にかけてです。御三家に三田明・梶光夫・久保浩と続く青春歌謡路線は年齢的に離れておらず、身近な存在として感じられました。生活の一部になっていましたね。
小学校の遠足では、バスの中で歌謡曲を歌う子はいませんでしたが、中学生になると歌謡曲かポップスばかり。英語まじりのポップスを歌うと、担任が英語の教師だったものだから発音の悪さを指摘されたりしてね。クラスでも目立たないおとなしい女の子が、五月みどりの「おひまなら来てね」を歌った時はビックラこきました。中学校の卒業式の日、クラス全員で舟木一夫の「高校三年生」を中学三年生のフレーズに替えて合唱したので~す。
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